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『タニカの日記』Xim erate d'arientos(=My precious life)

『モノクローム・ドリーマー』の本編後日談です。
タニカの日記を翻訳したもの、という体裁の文章です。
ほぼ100%ネタバレで構成されていますので、本編未クリアの方はご注意ください。
原語版はタニカの母国語、ラインアマド語(架空言語)で書かれていました。
ラインアマド語について詳しく知りたい方はこちらへどうぞ:架空言語


※タニカの口語で描かれた、日記形式の文章です。
※本編ハッピーエンド前提、かつネタバレあり。
※番外編マンガは読んでいても読んでいなくてもどちらでも。
※Xim erate d'arientos(=My precious life)。『私の大切な命/人生』という意味です。

2018.6.30 タニカの日記を「再翻訳(=リライト)」しました。
内容はほぼ変わっていませんが、部分的に加筆修正が行われています。
段落構成や改行のレベルも微調整。

『タニカの日記』 Xim erate d'arientos

【前編】誰も知らない花~嵐の予兆


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序文(裏表紙):
『おわりのはじまり』

すべての物事には必ず「はじまり」がある。そして、はじまりがあれば必ず「おわり」もある――
父さんは、いつもそう言っていた。

この世界は春に生まれ冬になると死んでしまうけれど、必ずまた春はやってくる。
そして「新しい春」は「古い春」と同じではなく、いつも「どこか」が違っている。
だから、それと同じように――毎日が同じことのくりかえしに見える――宿屋の生活も、
少しずつ変化しているのかもしれない。

そういう風に考えてみると、この退屈な時間もおもしろく感じられるような気がする。

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春 898/1/1121 天気:くもり

今日は、朝早くから宿屋のお掃除をした。
花祭りも昨日で終わってしまったので、かざっていたお花を礼拝堂へ持って行って燃やしてもらったり、
台所を片づけたりした。

宿屋に泊まっていたお客さんも手伝ってくれたので、
思っていたよりもずっと早く終わって、よかった。

今年の花祭りは、なんだかいつもよりも楽しかった気がする。
もちろん、お祭りはいつだって楽しいけど……今年はもっと楽しかったってこと!

今年の花祭りには都からお客さまが来ていたから、たぶんそのおかげかなあ、と思った。
でもアイシャにそう話したら、それは違う気がする、と言われた。

たしかに今年は、料理を運んだりお客さんの応対をしたりで忙しくしていたから、
パーティー会場でゆっくり貴族さまを見られたわけじゃないし、
ましてや、直接おしゃべりなんてできたわけもないし(ラパンとは話したけど……)。
アイシャの言う通り、それは関係ないのかな。

でもそれなら、どうしてだろう?
ちょっとだけ考えてみたけど、よくわからなかった。

でも、楽しいのはいいことだよね!

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春 898/2/1121 天気:晴

今日、父さんのお墓を見に行ったとき、裏庭で赤い花を見つけた。

その植物(草と木の中間みたいな)は、ちょっと前からそこに生えていたけれど、
花が咲いているのは初めて見た!
あたしも見たことがない花だった。山でも森でも村でも、どこでも見たことがない花!
あざやかな赤色で、あたしの手のひらくらいもある大きな花。すごくきれいだった。
裏庭をあちこち調べてみたけど、その花はそれひとつだけだった。

名前を調べようと思って、すぐに二階の書斎に行った。
もともとは父さんの部屋だから魔術学の本が多いけれど、たしか植物図鑑もあったはずだ。

あたしはラブと違ってあまり書斎に入ることはないので、めあての本を見つけるのには時間がかかった。
ようやく図鑑を見つけたのであの赤い花を探してみたけど、それらしいものは見つからなかった。
……載っていないのだろうか。ひょっとしたら、探し方が悪いのかも……。
気がつくともう日が傾いていたので、あわてて夕食のしたくに戻った。

書斎を出るときに窓から外を見ると、あの赤い花が夕日に照らされているのが見えた。
ちょっとだけ、イリスさんの宝石に似ていると思った。

きれいだけど、ひとりぼっちでかわいそうだ。

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春 898/3/1121 天気:晴

今日もいつもどおり。

想像もしなかったような事件が宿屋を襲う!

……みたいなことがあってもいいのに、そうならないのは不思議だ。
つけたしておくと、これはぜひ事件が起きてほしいとかそういう話とはちょっと違う。
ただ、どうしてそういうことが起きないのか、それがすごく不思議だってこと。
だって「事実は小説より奇なり」って言うでしょ?
そんな格言が生まれるってことは、この世界では不思議なことばかり起きるってことだと思う。

それはともかく、あたしは今日もあの花のことを考えていた。
正体のわからない花のことを調べる。
大事件というわけではないと思うけど、これも気になる話だ。

夕方、あたしはラブの部屋をたずねてみた。
ラブならあの花のことを知っているかもしれないと思ったので、聞いてみることにしたのだ。
でも、部屋のドアには鍵がかかっていて、廊下から呼びかけても反応がなかった。
たぶんまだ寝ていたんだと思う。
しかたがないので『裏庭の赤い花の名前を教えてほしい』と書いた紙を、
ラブの部屋のドアに貼っておいた。

夜、あたしの部屋のドアに『明日調べる』と書いた紙が貼ってあった。

あたしは、それならきっとすぐにわかるはずだ……と、満足して紙をはがした。
ふと紙の裏側を見ると『僕の万年筆を勝手に使うな』と書いてあった。

……あれ、なんでばれたんだろう? 魔術?

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春 898/4/1121 天気:くもりのち雨

今日は少し肌寒かった。


二階で夕食をとっていると、ラブが自分の部屋から出てきたので、
今日はいっしょにご飯を食べることにした。
そういえば、ちゃんと顔を合わせるのは花祭り以来だったかもしれない。

きのう約束した通り、ラブはあの花のことを調べてくれたみたいだった。
ラブの話では、あの植物は、ふつうならこの大陸にはないはずの種類だということだった。
ずっと南のほうにある国で育つらしい。
どうやってうちの裏庭にきたのかはわからないけど、この辺りではかなりめずらしいものだと思う……
という話だった。

そうそう。
ここからがびっくりなんだけど、
あの花はふつうこの大陸にはないものだし「学術的に重要な位置を占める(聞き間違いかも?)」
ものではないから、この国の言葉での名前はない、ということだった。
共通語での名前はあるらしい。
ラブがそれを書き留めた紙を見せてくれたけど、
その名前の中にはあたしの苦手な発音が入っていて、少し読みづらかった。

ラブはなんだか疲れているみたいだったので、
あの花のことを調べるのはそんなに大変だったのかと思って、聞いてみた。
でも「それは関係ない」と言われた。
夕食が終わると、ラブはまたすぐに部屋に戻ってしまった。

そういえば、花祭りが終わってから、
ラブは自分の部屋にこもっていることが多くなったような気がする。
……いったい、なにをしているんだろう?

ちょっとだけ想像してみたけど、わからなかったのでやめた。
多くなった気がする、と書いたけど、じつはそんなに自信があるわけじゃないし。
ラブがひとりで過ごしたがるのはいつものことだ。

今日は花の名前がわかってよかった!
でも、きれいに発音できないのは、ちょっとだけ残念かな……。

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春 898/5/1121 天気:晴

今日はお洗濯びよりな快晴!

朝のお仕事が終わったあと、裏庭に行った。

赤い花がひとつ、まだ咲いていた。
あたしは、この花はひょっとしたら永遠にしぼまないんじゃないか、と思った。
南の国のお花だから、長生きなのかな?

そんなことを考えているとき、すごくいいことを思いついた。

あたしが、この花に名前をつけよう。この国の言葉で。
あたし達の宿屋の裏庭に咲いているんだから、家族みたいなものじゃないかな。
それなら、あたしが名前を考えてもいいと思うんだ。

今日、ラブは夕食のときにはいなかったけど、夜に廊下ですれちがった。
なんだか、昨日よりもさらに元気がないみたいだった。
あたしは心配になって、具合が悪いの、と聞いてみたけど「違う」とそっけなく返された。

あたしが、花に名前をつけたい、という話をすると、
ラブは眉をひそめて「わざわざ名前を考える必要はないだろう」と言った。
理由は「共通語の名前があることで、すでに識別可能だから」ということだった。
あたしは、そういう意味でつけるんじゃない、と答えた。
その名前をみんなに広めたいとか、種の識別とか、そういうことではなくて、
「うちの裏庭に咲いているあの赤い花」に、この国の言葉ですてきな名前を考えたいのだ。

そう言うと、ラブはなんだか驚いたような顔をした。
あたしは、一度にたくさん話しすぎたのかもしれないと思って、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
それで、もう自分の部屋に戻ろうとしたとき、ラブに呼び止められた。

ラブは「花の名前を考えたら教えてほしい」と言った。
まだ少し元気がないみたいだったけど、声の調子はさっきよりも明るかった。
あたしが、わかった、と答えたら、ラブは「共通語の名前は、僕にはまったく発音できない」と付け加えた。

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春 898/6/1121 天気:晴

今日は宿屋にめずらしいお客さんが来た。
ほかの土地からきた、吟遊詩人さんだった。

夢魔のことがあったばかりなので、最初はちょっとだけ警戒したけど、
吟遊詩人さんはとてもいい人だった!

アイシャやイーナも宿屋に遊びに来てくれて、
みんなで詩人さんのお話を聞いた。

この世界が生まれたときのお話とかほかの国の英雄の伝説とか、
どれもホントに面白かった。

アイシャに、最近なにか変わったことはあったか、と聞かれた。
あたしはみんなに赤い花を見つけた話をしようと思ったけど、
なんとなく言いたくないような気がしたので、秘密にしてしまった。

ラブは「花の名前を考えたら教えてほしい」と言っていた。
いい名前を思いついたら、一番に教えてあげよう。

それまで、みんなには秘密。

吟遊詩人さんが、東のほうで大きな黒い雲を見た、と言っていた。
今日は風がほとんどなくて、村はとても静かだ。
嵐が来るかもしれない、とあたしは言った。イーナも同意した。
毎年この時期にはだいたい嵐が来るので、あたしはあまり心配していない。
ちゃんと準備をすれば、大丈夫だ。
アイシャは心配性なところがあるので、不安そうにしていた。

だいじょうぶだよ。

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春 898/7/1121 天気:くもり(嵐の兆候あり)

急に風が強くなってきた。
明日には嵐になるかもしれない。
空が荒れはじめるのが予想よりもずっと早かったので、あたしはあわてて対策をはじめた。

はじめに宿屋の窓を板でふさいで、雨や風が入らないようにした。
なにかあったら困るので、食べ物と水も家の中に入れておいた。
そのあとは、ちょっと時間があまったから、
武器屋のおじさんといっしょにほかの家のことを手伝ったりした。

いちばん心配なのは、裏庭のあの花のことだ。
明日の嵐がどれくらいのものなのかわからないけど、風で倒れてしまうかもしれない。

だから、昼間のうちに、花の周りに木の板で囲いをつくって風よけにした。
でも、これで雨風に負けないかどうかはわからない。
南の国の強いお花だから、明日の嵐にも耐えてくれると信じたいな……。

夕方に裏庭でお墓の手入れをしていると、ホントに珍しいことだけど、
ラブがやってきて、なにか仕事を手伝うと言った。
あたしはちょっと考えたけど、ラブはやっぱり疲れているように見えたから、
なにも手伝わなくていいと答えた。

ラブはあたしが花の周りにつくった囲いを見て、
「その植物を切ったほうがいい」と言った。
明日になって嵐が来たら、花が落ちてめちゃくちゃになってしまうかもしれないけれど、
いまのうちに切り花にして家の中に飾れば、もっと長持ちする……という話だったと思う。

あたしは、それはいやだ、と答えた。
理由はうまく説明できないけれど、ラブがそんな提案をしたことが、すごく悲しかった。

しばらくの沈黙のあとで、ラブはぽつりと「おそらくきみが正しい」と言った。
あたしが答えないでいると、もう一度、とても小さな声で「きみは正しい」と繰り返した。
こっちに話しかけているというよりは、自分に言い聞かせているみたいだった。
そのあとは、なにも話していない。


夜になると、風はさらに激しくなってきた。

明日はきっと、ひどい嵐だ。


『タニカの日記』Xim erate d’arientos【後編】

嵐の夜の感情錯綜~おわりの悲しみを知るということ


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春 898/8/1121 天気:嵐(ひどい天気!)

夜中から雨が降りはじめ、明け方にはひどい嵐になった。

朝から、強い風が宿屋の窓をたたいている。
あの花のことは気になるけれど、この荒れ模様では外には出られそうにない。
お客さんも来そうもないので、いまのうちに花の名前を考えようか……とも思ったけど、
とてもそんな気分にはなれなかった。
あたしは、あの花は無事だと信じている。
……でも、やっぱり落ち着かない気分だった。

だから、この日記をたくさん書いて時間をつぶすことにした。

お昼を少し過ぎたころだった。
あたしは、ふとラブの部屋のことが気になった。
この嵐で、室内に雨や風が吹きこんだりしていないかな、とちょっと心配になったのだ。
ラブは、もしもなにか問題が起こっていても、あたしには相談しないかもしれない。
そういうことは、これまでにも何度かあった。
なんだか悪い予感がしたので、そっと様子を見に行くことにした。

ラブの部屋の前まで行くと、ドアが少し開いていた。
普段は閉まっていることが多いけど、まあ、たまにはそういう日もある。
外から呼びかけたけれど、返事はなかった。
あたしは、きっとまだ寝ているんだろう、と思った。
ラブは昼間は寝ていることが多いから。
悪いかな……と、ちょっと迷ったけれど、勝手に入ることに決めた。

部屋は散らかっていたけれど、とくに異変はなさそうだった。
ラブは、机に突っ伏して眠っていた。
あたしは、こんなところで寝たらダメだよ、と声をかけた。
でも、ラブは目を覚ます気配はなかった。

そのとき、あたしはラブの机の上にあるものに気づいた。
……手紙だ。しかも、ラブの字だ。
ラブは、眠る直前まで手紙を書いていたんだ。
そう気づいて、あたしはびっくりした。
ラブが手紙を書いているのを見たのは、たぶん生まれて初めてだった。
だって、ラブがいったいどこに手紙を書くの?

何度も書きなおしていたのか、それともただ散らかっているだけなのか、
机の上にはたくさんの紙が散乱していた。
あたしはもっとよく見ようとして、その中の一枚を手に取った。
だけどその時、ラブが目を覚ましてしまった。
ラブと目が合ってしまったので、あたしは怒られるかと思ったけれど、なにも言われなかった。

ラブは、黙ってあたしの手から紙を奪い返した。
そして「やることがあるから、出ていってほしい」とだけ言った。
その時の声はとても平坦で、なんの感情もこもっていないように聞こえた。

あたしは、悪いことをしてしまった……と反省した。
それで、勝手に部屋に入ってしまったことと、手紙を見ようとしたことを謝った。
ラブは、やっぱりなにも言わなかった。

部屋から出る直前、どうしても気にかかったので、
どこに手紙を書くの、と聞いてしまった。
……返事はなかった。

あたしが、あきらめて部屋から出ようとしたとき、ラブは一言、ぽつりと「研究院へ」とつぶやいた。

自分の部屋に戻ったあと、あたしはラブの手紙のことを思い返していた。
ラブがどこに手紙を書いていても、なにも問題はないはずなんだけれど、
なんだか妙にひっかかっていた。

ラブが王立研究院に手紙を? いったいなんのために?
だって、これまでずっと、院長さんから手紙が来ても、無視し続けていたのに。
院長さんから手紙……。
そういえば、花祭りの直前、ラブ宛に手紙が来ていた気がする。
床に放置してあったので、あたしも読んだ……ような気もする。

あれ、なんて書いてあったんだっけ……。
思い出そうとすると、なぜだか心がざわざわして、落ち着かなかった。

よくわからない。
ちょっと早いけれど、今日はもう寝てしまおう。
この嵐だから、できることもない。

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夜中に目が覚めてしまった。
風の音のせいかな……。

しかたがないので、眠くなるまで書斎で日記を書くことに決めた。

あたしは、夜は早く寝て朝は早く起きることにしている。
だから、ふだんはこんな夜ふけになにかすることなんてない。
嵐の夜中なんて、わくわくする……と、ふだんなら思うはずなのに、今日はまったく楽しくなかった。

その理由はわかっている。
あたしは、院長さんからの手紙の内容を思い出したのだ。
もし、ラブが書いていたのが、あの手紙の返事だとしたら……。

日記を書いていると、ラブが書斎に入ってきた。

ラブはいつも、夜ふけすぎ――ちょうどこれくらいの時間――に、魔術の実験をしたり、
論文を書いたりしている。
だからきっとその時も、作業をしに来たんだと思う。
ラブはあたしが日記を書いているのを見ると、一瞬、とても驚いたような顔をした。
だけどすぐにいつもの無表情に戻って、「どうしてこんな時間まで起きているんだ」とたずねた。

あたしは、その質問には答えなかった。
その代わり、来年もいっしょに花祭りに行けるかな、と聞いてみた。

ラブは嘘をついたりごまかしたりするのが苦手だから、
あたしの予想が正しいかどうか、これで確かめられると思った。
こんなやり方はずるいと思ったけど、これしか思いつかなかったから、しかたがない。

ラブは「行く」とも「行かない」とも言わなかった。
なにも言わず、ただ、静かにあたしの目を見つめていた。
そして、ふいに視線をそらして、窓の外をちらりと見た。

あたしは、ああ、あの花を見ているのだ……と思った。
いまになって考えてみると、外は真っ暗だったから花は見えなかったはずだ。
だけどその時は、なぜかそう感じた。

ラブはもう一度、あたしのほうに向き直った。
そして、いつもよりもずっとずっと低い声で、
「もしもこの嵐であの花が駄目になったら、きみはどうする?」とたずねてきた。
どうするって? どうするって、どういうことだろう。
どういう意味かわからなかったので、あたしは聞き返した。
すると「風雨に曝されたことで花が落ちてしまって、あの植物が完全に枯れてしまったとして――
それでもまだ、名前が必要だと思うのか? すべてが無意味に帰すとしても?」
と、ラブは言った。

ラブの目は、相変わらずまっすぐにあたしを見ていた。
見ていたというより、にらんでいたという表現が正しいかもしれない。
なんだか、視線で射貫こうとしているみたいだった。
どう表現すればいいかわからないけれど、このときのラブは、とても怖かった。
あたしは、もう目をそらしてしまいたいと思った。

……だけど、ここで引くわけにはいかない。
引いたら、ラブの言葉を認めたことになってしまう。
だからあたしは、あの花は嵐に負けたりしない、そんなことを言わないで、と言い返した。
ちゃんと、目をそらさずに話せた。
そうしたらラブは、
「そうか。きみが理想論をふりかざして、質問に答えないのなら、仮定の話としよう」と言った。
「もしもあの花が、風に耐えきれないどうしようもなく弱い存在でも、
それでもまだ名前を与えたいと思うのか」

あたしは、言葉につまってしまった。
そんな言い方はひどいと思った。
それは違う、と言いたかった。
ほかにも、たくさんの言葉が心の中にわきあがってきた。
でも、一度にたくさんの気持ちが頭の中をぐるぐると回っていたせいで、
うまく話すことができなくなってしまった。
それでも、どうしても目をそらしたくなくて、そこに立ち続けた。
ラブも、一瞬も目をそらさず、こちらをにらんでいた。

お互い黙ったまま、あたし達は書斎に立っていた。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。
そのうちに、ラブは「早く寝ればいい」と冷たく言い放って、部屋を出ていった。

……けっきょく、あたしはなにも言い返せなかった。
くやしくて、涙が出そうだった。


風が窓をたたく音が聞こえた。
嵐なんて嫌いだ。大嫌いだ。

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春 898/9/1121 天気:雨

目が覚めると、頭が痛かった。
それに、体が熱くてふわふわしていて、宙に浮いているみたいだった。
どうやら、風邪をひいてしまったらしい。
昨夜、遅くまで起きていたせいだと思った。

昨夜と比べると風はだいぶ落ち着いていたけど、相変わらず雨が降っていた。
あたしはぼんやりとした頭で、この天気なら、きっと郵便屋さんは来ないな……と考えた。

あたしが朝の礼拝にいなかったので、近所のおばさんが異変に気づいて、宿屋に来てくれた。
あたしはほとんど病気をしたことがないので、おばさんはとても心配していた。

そのうちに、アイシャもやってきた。
アイシャは「病気が治るまで宿屋の仕事を代わる」と提案してくれた。
あたしが、そんなことをしたらベイカーさんに怒られるよ、と言うと、
「父がそうしろと言ったのよ」と答えた。
そう言ったアイシャは、ちょっとさみしそうに見えた。

よくわからないけど、とにかくベイカーさんのお許しが出たのはたしからしい。
それなら、今日は怒られることもないのだろう。
そう思ったので、自分の部屋で休むことにした。

雨の音を聞きながら、あたしはあの花のことを考えていた。
「もしもあの花が、風に耐えきれないどうしようもなく弱い存在でも、
それでもまだ名前を与えたいと思うのか」
と、昨夜のラブの言葉が、頭の中に響いた。
……そんなはずはない。
あの花は強いから、きっと大丈夫なはずだ。
見に行かなくたって、わかる。

眠ろうと目を閉じると、あのあざやかな赤色が、すぐ近くに見えるみたいな気がした。

次にあたしが目を覚ましたのは、夕方だった。
頭が痛いのも治っていたし、体もふわふわしなくなっていた。
ベッドの横に、あたしの好きなキャンディーがひとつ置いてあった。
……誰が持ってきてくれたんだろう。
外を見ると、もう雨はやんでいた。

あたしは起きあがりキャンディーを口にふくむと、一階へ向かった。
もちろん裏庭へ行くためだ。
アイシャはもう帰ったみたいで、宿屋の中は静まりかえっていた。
運がいいことに、誰にも会わなかった。
もし誰かがいたら、外に出ることをとがめられていたかもしれないから。

予想はしていたけど、裏庭はひどく荒れていた。
父さんのお墓は無事だったので、ほっとした。

あたしは、ぬれた地面を踏みしめながら、あの花のほうへと近づいた。
囲いは倒れてしまっていた。
赤い花は、地面に落ちていた。
それだけではなく、幹も囲いごと倒れ、葉は散り散りになっていた。
最後に見たときにはあんなに鮮やかだった赤色の花びらは、土と同じ色に変わっていた。

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(日付なし 走りがき)

すべての物事にはおわりがある、と父さんは言った。
でも、それは新しいことのはじまりだから怖がることはないんだ、とも言った。
あたしもそう思っている。そう思っていた。
でも、でも、もしその新しいことが、新しい春が、悲しいものだとしたら、
その時は、いったいどうしたらいいんだろう?

父さんは、教えてくれなかった。

『タニカの日記』Xim erate d’arientos【完結編】

魔力あるいは生命の源流~遠くて近い想い 


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春 898/10/1121 天気:くもり

明け方、朝の礼拝へ行った。
先に礼拝堂へ来ていたアイシャは、あたしが入ってくるのを見るなり、
心配そうな顔で「もう起きあがってもいいの?」と言った。
あたしは、大丈夫だ、と答えた。
べつに強がりを言ったとわけじゃない。風邪はもう治っていたと思う。
どこも痛くなかったし、熱もなかった。
だけど、昨日のことを思い出すと胸がずきずきした。

あたしはいつものようにアイシャの隣の席に座った。
そして、悲しいときはどうすればいいと思う、と聞いてみた。
するとアイシャは「なにか困ったことが起きたの?」と、さらに心配そうな顔をした。
花のこと、手紙を見たこと、ラブのこと……。
あたしはなにを話せばいいかわからなくて、答えられなかった。
アイシャは、あたしが答えないのを見ると、それ以上なにも聞かなかった。

礼拝が終わり席を立とうとしたとき、アイシャが声をかけてきた。
「――悲しみは、わたし達に与えられる試練だって、神父様は言っていたわ。
そして神様は、乗り越えられない試練はお与えにならない、とも。
でも、もし一人で立ち向かうのが辛いのなら……誰かに頼っても、きっと許されると思うの」
あたしは、その言葉を覚えておくことにした。
アイシャは膝の上で指を組んで、座っていた。
赤い髪が、ステンドグラスから差し込む光に照らされて輝いていた。
きれいだな……と思った。
アイシャに、昨日あたしが眠っている間にキャンディーを持ってきてくれたよね、と聞いてみた。
するとアイシャはいぶかしげな顔をして「わたしが? いいえ。二階に誰か来たの? 
ずっと下にいたけれど、気がつかなかったわ」と言った。

礼拝堂から帰る途中もずっと、あたしは昨日のことを考えていた。
ゆうべ裏庭であの花が倒れているのを見たあと、あたしは宿屋に戻っていろいろな道具を持ってきた。
なんとかしてあの花を助けようと思ったのだ。
花の隣に支柱を立てて、幹が折れてしまった部分には布を巻いた。
ほかになにかできることはないか……と、あたしは一生懸命考えた。
けれど、それ以上のことは思いつかなかったのだった。

だから、宿屋に帰りついたあたしは、けっきょくまたラブの部屋の前に立っていた。
ラブなら、あの花を助ける方法を知っているんじゃないか――と思ったのだ。

ラブは、あたしが楽しいことを考えても、ぜんぶ否定しようとする。
それにすぐに怒るし、宿屋の仕事はちっとも手伝ってくれないし、花祭りのことも馬鹿にする。
でもラブは、魔術を自在に操れて、難しいことをたくさん知っていた。
そしてあたしが本当に困ったときは、必ず力を貸してくれた。
あたしは、ラブが操る炎を見るのが好きだった。

こうやって、あたしは何度ラブに助けてもらったんだろう、と思った。
……そしてそれも、もう最後になるかもしれないのだ。

いつも通り、部屋の外から声をかけた。
ラブは、今日はすぐに出てきてくれた。
そして、あたしがなにか言う前に「あの植物は嵐に耐えられるんだな」と言った。
予想だにしなかった言葉だったので、あたしは固まってしまった。
ラブはそのまま歩きだして、一階へ降りていった。
ついてくるな、と言わなかった。
……ということは、たぶんついてきてほしいのだ、と思った。
だから、あたしも後を追った。
ラブが向かった先は、予想通り裏庭だった。
あたしが追いつくと、ラブは、あの花――いまは花は落ちてしまっているけれど――の幹に手を触れた。
そして、あたしにはわからない言葉で、なにか呪文のようなものをつぶやいた。

すると、びっくりするようなことが起こった。
ラブが触れた場所から小さな光の粒がたくさん出てきて、空中へと舞い上がったのだ。
その光の粒は、どんどん増えていった。
そのうち、幹のべつの場所からも出てきて、植物全体が光の粒で覆われているみたいに見えてきた。
まるで、それ自体が光っているみたいだ。

なにをしたの、とあたしは尋ねた。
「なにもしていない」とラブは言った。
「これは、この植物に宿る魔力だよ。春に咲く花には、魔力を集めて蓄える習性があるんだ。
僕は、きみにも見えるように、一時的に可視化しただけだよ。
いまきみが見ている粒子は、あの人の言葉を借りるのなら……
生命の源流のようなものだ」
生命の……ということは、まだ生きているの、とあたしはたずねた。
ラブは「それくらいのこと、見てわからないのか」と、あきれたように言った。
そしてあっさりと、
「花も葉も落ちているけど、核の部分は傷ついていない。すぐに自己修復するだろう」、と続けた。

よく見ると、光の粒たちは、ある一点に集まっているように見えた。
あたしは、その部分をよく見てみた。
――そこには、つぼみがついていた。
つぼみの先は、あの鮮やかな赤色だった。
それを見たとき、あたしは、ちょっとだけ泣いてしまった。
すごく嬉しかった。

しばらくすると、光は見えなくなった。
ラブは花のほうを見たまま、小さな声で「僕は研究院へ行く」と言った。
それは、あたしも予想していたことだった。
「きみが理解しているかどうかは怪しいけど……僕は現状では、魔術学者を名乗ることはできない。
魔術師ではあるが、それもかなり微妙なところだ。
……だけど、研究院へ行けば、もうそんなことを考える必要もなくなる。
魔術学者とか魔術師とか、そんな肩書きは本質的な意味を持たないことは理解しているつもりだし、
僕自身もそれほど興味があるわけじゃない」
ラブは、そこまで言うとまた視線を落とした。
あたしは黙って、話の続きを待った。

ラブは、あたしになにか返事を期待しているときは、必ずあたしの目を見据えている。
視線を泳がせていたりうつむいていたりするようなときは、なにかを考えているとき、だ。
これは、最近になって気づいたこと。

あたしが静かにしていると、ラブはまた口を開いた。
「でも、そうすればもう、誰にも……僕の魔術師としての力を、『道なき力』とは呼ばれない。
この力をどう扱うのかは、僕の課題であり責任だ。それが、研究院へ行くことを決めた理由」 と言った。
そしてまた、ちょっと考えるようにして目を伏せた。
ラブは、ゆっくりと話を続けた。
「僕にとって、ここはあの花の囲いの中と同じだ。つまり、この場所はきっと……
居心地が良すぎるんだと思う。嵐からは遠い、守られた場所だ」

あたしは、黙って聞き続けた。
そのときのラブの言葉は、体の中にしみわたるみたいだった。
ラブが、ひとつひとつ、ていねいに言葉を選んでいるのがわかる。

「でも、それでは駄目なんだ。僕は強くならなければならない。
夢魔のときのように、負けてしまうわけにはいかない」
その言葉にびっくりして、あたしは思わず、ラブは負けたりしなかったでしょ、と言った。

だけど、ラブは首を横にふった。
そして、あたしの目をしっかりと見てから、
「あれは光の精霊イリスと、それから……きみ自身の力だよ。
だから僕は、いまよりもずっと強くならなければならないんだ」
と、きっぱりと言いきった。

あたしは、どう答えればいいのかわからなかった。

ラブが、自分の考えを話してくれたのは嬉しかった。
でもこれでもう、あたしの悪い予感は決定的な出来事になってしまった。
ラブが研究院へ行く……ということは、ラブはこの村を出ていくつもりなのだ。
あたしたちを置いて、遠い遠い都へ、ひとりで行ってしまうということだ。

部屋へ戻る直前、別れ際に、ラブは思い出したように言った。
「もう、夜中に日記を書いたりするな。慣れないことをするから熱なんて出すんだ」

……知ってたんだ。気づいてなかったのかと思った。

その夜あたしは、とうとう花の名前を決めた。

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春 898/11/1121 天気:晴

今日は、他の村からお客さんがきた。
お料理を作って出してから、部屋の掃除をした。
それから外に遊びに行こうかと思ったけど、風邪が治ったばかりなので、宿屋でゆっくり過ごすことにした。

夕方、裏庭で父さんのお墓の手入れをした。
あの花を見て、あたしはきのうの光の粒のことを思い出した。
……早くまた、元気になってほしいな。
あたしは、きのう考えたばかりの名前で呼びかけてみた。
やっぱり、名前を考えてよかった。
意味がないなんて、そんなことはないのだ。

裏庭から宿屋を見上げると、ラブの部屋に魔導ランプの明かりが灯っているのが見えた。
その光を見て、あたしはなんだかほっとした。
そう言えば、研究院へ行くのはいつなのか、聞きそびれてしまっていた。

ラブが都へ行ってしまう。
なんだかまだ実感がわかなかった。
こういうときは、どんな言葉をかけるのが正しいんだろう、と考えてみた。
あたしが遠くへ行くとしたら、なんて言われたら嬉しいだろうか。

……もしも、悪い魔術師に捕まったあたしを、遠い国の王子さまが助けにきて、
あたしはその王子さまと結婚して、遠い国のお姫様になることになったら――
そして、カダを出ることになったら、みんなはなんて言うだろう……と、想像してみることにした。
勝手なことばかりして、この恩知らずめ――と、
怒鳴るベイカーさんの顔が、なぜか一番に浮かんだ。
アイシャはきっと「さみしいけれど、あなたの幸せを願っているわ」と言うだろう。
これは間違いない、と思った。
あたしは、アイシャのことをよく知っている。
村の人たちはみんな、とても驚くだろう。
おばさんは、あたしが結婚すると知ったら喜んでくれるだろうか。
ラパンは「宮廷の作法を教えてやろうか」と、おかしそうに笑うだろう。
ラブは……考えてみたけど、まったく想像ができなかった。
というより、この空想の村の中にラブの姿はなかった。
けれど、空想の中のあたしはそれに気づくことすらなく、楽しそうに笑うのだ。
そのことに気づいて、ちょっとだけ不安になった。
これでは、まるで夢魔が見せた悪夢だ。

けっきょく、どういう言葉をかけるべきか、という疑問の答えは出なかった。

ラブが村を出るかもしれない、と思ったことは前にもあった。
――父さんが死んだときだ。
ラブはその日、あたしたちの前から姿を消した。
お葬式にも来なかったし、宿屋にも帰ってくることはなかった。
あたしは、ああ、きっともう村を出ていったのだ……と思った。
でもその時、あたしはそのことについて、とくになんとも思わなかった。
父さんがいなくなってしまったことで、自分の中にある悲しさを感じる場所が、
もういっぱいいっぱいだったのかもしれない。
それにあのころ、あたしはラブのことをなにも知らなかったから、
なんとなく「そういうもの」なんだと思っていた。
……いまだってあんまり知らない気もするけど、それは置いておく。

お葬式がすんだあと、あたしは父さんの持ち物を整理しなければならなかった。
持ち主がいなくなった机を見るのは、とてもつらかった。
でも、父さんの部屋には相変わらずラブが住んでいた。
父さんが生きていたころと変わらず、夜になると書斎は魔導ランプの明かりで満たされた。
もしラブが出ていってしまったら、父さんの部屋には誰もいなくなる。
あたしは魔術師ではないから、書斎にも、実験室にも、もう明かりが灯ることはないだろう。
そう思ったら急に悲しくなってきて、じわりと涙がこみあげてきた。

いろいろと考えてみたけれど、答えはとうとう見つからなかった。

だから、明日は森へ行ってみようと思う。
さっそく倉庫からとっておきのワインを出してきた。

ホントは、もうちょっと寝かせておきたかったんだけどね。

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春 898/12/1121 天気:晴

明け方お客さんを送り出して、あたしは出かける用意をした。
玄関の扉に「準備中」の札をかけて、手には昨夜のワインを入れたバスケットを持った。
そして、近くの森へと向かった。
あたしは子供のころからよくこの森で遊んでいるから、道に迷うことはない。
森の中の道を進んで、何回目かの開けた場所から南西へ少し道を外れ、
大きなリンゴの木のところを、南へまっすぐ……。
そこには、小さなコテージがある。
あたしが子供のころから、ここにはずっと人が住んでいなかった。
だから、誰のものかもなぜここにあるのかもわからない。
でも、今日あたしがここに来たのは人に会うためだった。

コテージから少し離れた泉に人影が見えたので、あたしはそっちに向かうことにした。

ラパンは、泉のそばに座って剣の手入れをしていた。
あたしはうしろから声をかけてみた。
びっくりするかな? と思っていたのに、ラパンはなんでもないように「よく来たな」と言った。
まるで、あたしが来るのがわかっていたみたいだった。

ラパンは、イリスさんに連れられてカダに来てから、いつの間にかこの森のコテージにいついていた。
「住んでいる」というより、ホントに「いついている」という感じ。
だいたい、初めて会ったときはピレネーの近くに住んでいたのに、気づいたらここにいたので、
あたしはびっくりしてしまった。
どうして住む場所を変えたの、とあたしが聞くと「気分」と答えた。
ホントにいい加減だ。
この森のコテージはわかりづらい場所にあるから、
カダの人だってみんながこの場所を知っているわけじゃない。
ましてや、他の場所から来た人なら、ふつうは絶対に気づかないと思う。
いったいどうやって見つけたんだろう?

あたしが、相談したいことがあるんだけど、と言うと、ラパンは、
「いいぜ。ただし、カウンセリング料をもらおうか――そうだな、支払いはそのバスケットの中の物で。
そういうわけだから、その価値と釣り合う分だけ話せ」と言った。
カウンセリング料?……そんな交換条件、初めて聞いた。
ちょっとあきれてしまったけど、あきらめて相談することにした。
もしも新しい春がとても悲しいものだとしたら、どうしたらいいと思う、とあたしは聞いてみた。
「そんな抽象的な話をされても、オレにはまったくわかんねーな。学がないんでね」
そう言って、ラパンは持っていた剣を片手でくるりと器用に回した。
「つまり、なにが悲しいって?」
そう聞きかえされると困ってしまう。
あたしは少し迷ったけど、子供のころからいっしょにいた人が遠くへ行ってしまうことになって、
それが悲しいんだ――と、話してみた。
するとラパンはすっと目を細めて「ああ、そっちの方がわかりやすいな」と言った。
「そうだな、いい方法があるぜ。他人に期待しないことさ。
なにも求めず、なにも反応しないこと――それから、自分に対してもな。
それで、昨日のことも明日のことも考えず、いまだけを楽しむことだ――
これは本当に楽なんで、個人的には推奨するね」と言った。
でも、あたしがその言葉の意味をしっかり理解しようとして頭の中で反芻していると、
ラパンはまるでそれをさえぎるように、
「だが、そうだな。こういう投げやりな人生は、おまえみたいな未来ある若者にはおすすめしないな」と、
大げさに肩をすくめてみせた。
……どっちなんだろう。
あたしがむっとしたのを見て、ラパンは、
「そうだな、とりあえずは……
『誰がどうなることがどうして悲しいのか』もう一回よーく考えてみること、だろ」と言った。
そして「さて、アドバイスは以上だ――お、これはけっこう年代物だな。ありがたく頂戴するか」と続けた。
……いつの間にか、ラパンの手にはあたしのバスケットの中にあったワインが握られていた。
いつとられたんだろう。ぜんぜん気づかなかった。
さっきまで、剣を持ってなかった?

っていうか、アドバイスは以上って……まさか、さっきので終わり?

あたしは、さすがに理不尽だと思った。
そして、どうして悲しいのかなんて考えなくてもわかってるよ、と反論した。
でも、ラパンは「へえ、そう? そういう風には見えないけどな」と言った。
それからおもむろに立ち上がると、「それじゃ、オレはもう行くから」と言って、
コテージとは反対の方向に向かって歩き出した。
どこへ行くの、とあたしが聞くと、
「ラインアマドの都さ。新国王の戴冠式に合わせて、城下で祭りがあるんだ。
そこでちょっと路銭を稼いで、その後は北だな。
北の海のずっと向こう、雪に閉ざされた場所、この世の最果て――冬が生まれる国だ」と、
あっさりと答えた。

……なにそれ。
あたしは、てっきりちょっと出かけるのだろうと思っていたので、それは思いもよらない答えだった。
でも、不思議とそこまでびっくりしなかった。
だって、ラパンの行動はホントに脈絡がなくて、予測ができないから。
それに、また冗談かもしれないでしょ?

だからあたしは、それじゃあ帰ってきたら北の国のお話を聞かせてね、と言った。
ラパンは「誰かさんがいなくなると悲しむらしいのに、
オレのことは気にかけてくれないとはさみしいね」と返した。
でも言葉とは裏腹にその声は明るくて、あたしをからかっているようだった。
あたしが、だってまた帰ってくるんでしょ、と言い返すと、
「そうだな。明日か、来年か、十年後か、もっと先か……それはわからないが、
ま、そのうちまたどこかで会うこともあるさ」と言った。
そして「オレはここの生まれじゃないが『帰ってくる』という言葉は、悪くはないな――
自然にその言葉が出るのは、おまえの美徳だと思うぜ。
それから、おまえを育てたこの村の美徳、か。せいぜい、大事にするんだな」と付け加えた。

……ラパンの言動は、やっぱりよくわからない。
いつも突然現れて、突然消える。
でも、だからこそ、あたしは「もう二度と会えない」と思うことはないのだろう。
あたしは、ラパンは大人だしどこへ旅に出ても帰ってこれそうだけど、ラブには無理そうだよね、と言った。
するとラパンは妙に神妙な顔つきになって「いまのセリフは、絶対に少年には言うなよ」と、答えた。

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春 898/13/1121 天気:晴

今日の夕方、また書斎でラブと会った。
あたしは、ラブに花の名前を教えてあげた。
この国では、『打ち勝つもの』という意味を持つ言葉だ。
ラブは「きみがそうしたいなら、それでいいんじゃないか」と、つぶやいた。
そして、またあたしの目を見据えた。
でもあたしはもう、いつかの夜のようにそれを怖いとは感じなかった。

「あたしは、ラブがいなくなったら悲しいな」
いま伝えなければ、もうずっと伝えられない気がして、あたしは口を開いた。
父さんの部屋や書斎に明かりが灯らなくなるのは悲しい。
だけどそれだけじゃなくて、こうしてラブと話せなくなることも、すごく悲しい。
あたしはそう言った。

ラブの話を聞いたとき、どういう言葉をかけるのが正しいんだろう、と考えた。
そしてけっきょく、その答えは見つからなった。
いまでも見つかっていない。
だから、いま伝えたことはきっと正解じゃない。
どちらかといえば大はずれに近いと思う。
でもあたしは、自分が考えたことをそのまま伝えたいと思った。
ラブはあたしの話を聞いて「きみは本当に馬鹿だ」と言った。
そして「……でも、僕はそれを期待、していたんだと思う」
と続けた。

あたしはびっくりしてしまって、あたしが悲しむのがそんなに嬉しいの、とたずねた。
ラブは、少し困ったような顔をした。
そして「そういう捉え方もあるのか」と言った。

しばらくの沈黙の後で、
ラブは「僕は、守れるかどうか分からない約束はしない。
そんなことをするくらなら、黙って消えるほうがましだと思っている。
だから、これから話す言葉は、僕の存在すべてを賭ける言葉だ」と言った。
存在すべて、という言葉を聞いて、あたしは身構えた。
今度はいったいなにを言おうとしているのだろう。
「僕は王立研究院へ行く。三年間研究員として働ければ、学位が認められる。そうすれば、僕は魔術学者を名乗れるようになる。そうしたら、その後――」
ラブはそこで、一度言葉を切った。
あたしは息をのんで、話の続きを待った。
ラブは「もう一度、一緒に暮らしてほしい」と言った。
……なんだ、そんなことか。
あたしは拍子抜けしてしまって、肩の力を抜いた。
存在を賭けるなんて、ものすごいことを言うから、もっと恐ろしいことを言うのかと思っていた。
たとえば、ええと……この村を海に沈めたいとか?

でも、いっしょに暮らすって、それっていまと同じだよね。
研究院へ行ってしまうのはさみしいけど、戻ってくる約束をしてくれるのはいいことだ。
あたしはうなずいて、うん、いいよ、と言った。
ラブは「そんなに簡単に承諾していいのか」と、あきれたような顔をした。
「三年後、きみが誰かと暮らしていなくて且つその予定もなかったら、という意味だよ」と、
念を押すように言った。
あたしは、だれかってだれなの、と聞いた。
「きみがいつも話している遠い国の王子とか」と、ラブはなんだかつまらなそうに言った。
もしも王子様が迎えに来てくれるのなら雲の上にある王国からがいい、とあたしは答えた。
だって雲の上なら、きっと嵐は来ないから。
ラブは少し笑って「雲の上に建物はつくれないよ、ものを知らないな」と言った。

あたしはふと思いついて、もし王子様がお迎えに来たときはラブもいっしょに来てもいいよ、と提案した。
するとラブは、ホントに複雑そうな表情をした。
なんて表現したらいいかわからないけど、これまでに見たことがない顔だった。
そして「……時々、きみは永遠に馬鹿なままなんじゃないか、と思うことがある」と言った。

せっかく誘ってあげたのにそんなことを言うなんて、ものすごく失礼だと思った。

でも、今日は特別に許してあげよう。

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(日付なし 最後のページ)

今日、ラブから手紙が来た。
ラブが研究院へ行く前に、あたしが、ときどき手紙を書くから返事を書いてね……と言うと、
ラブは露骨にいやそうな顔をした。
でもあたしが、手紙をくれないとラブのことを忘れちゃうかも、というと、
真面目な顔で「きみがどうしてもと言うなら、考えておかないこともない」と言ったのだ。
手紙と言っても、近況報告のような短い文章が書いてあるだけだったけど、
とりあえず元気でいることはわかった。
あたしはその手紙を、父さんのお墓にそなえることにした。

夏になってから、『打ち勝つもの』は赤くて鮮やかな花をたくさんつけている。
裏庭で初めて見つけたときは、花はひとつだけだったのに。

あれから何度か森へ行ってみたけど、あの春の日以来、ラパンの姿を見ることはなかった。
でも、そのうちまたふらりと現れるんだろう……と、あたしは信じている。

あたしはいまも、カダの村で新しい春を待っている。
都に住むお姫様になれなくても、自由な旅人になれなくても、
あたしはここで新しい季節を待つことができる。
次の春にはいったいどんなことが起こるのか、わくわくしながら待つことができる。
ひょっとしたら、悲しいことが起こるかもしれない。
でも、それでもあたしは、あたし達は、季節が巡るのを待ち続けるのだ。
きっと父さんも、それでいいんだ、と言ってくれると思う。

まだ書きたいことはたくさんあるけど、日記を書くのは今日でおしまい。
なぜかというと、これが最後のページだから。
残念だけど、しかたがないことだ。

いまさらだけど、この日記にも名前をつけようと思う。
ちょっと迷ったけど、表紙に『Xim erate d’arientos』と書いておいた。


あなたとあたしの次の春が、幸せなものでありますように!

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おまけ

日記に出てくる場所(書斎とか裏庭とか)の位置関係がよくわかる(かもしれない)解説画像。
ゲーム画面のスクショです。

INN

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