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『タニカの日記』Xim erate d'arientos(=My precious life)

『モノクローム・ドリーマー』の本編後日談です。
タニカの日記を翻訳したもの、という体裁の文章です。
ほぼ100%ネタバレで構成されていますので、本編未クリアの方はご注意ください。
原語版はタニカの母国語、ラインアマド語(架空言語)で書かれていました。
ラインアマド語について詳しく知りたい方はこちらへどうぞ:架空言語


※タニカの口語で描かれた、日記形式の文章です。
※本編ハッピーエンド前提、かつネタバレあり。
※番外編マンガは読んでいても読んでいなくてもどちらでも。
※Xim erate d'arientos(=My precious life)。『私の大切な命/人生』という意味です。

『タニカの日記』 Xim erate d'arientos


【前編】誰も知らない花~嵐の予兆


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序文(裏表紙):
『終わりのはじまり』

物事には必ず「はじまり」があり、そして、はじまりがあれば必ず「おわり」もあると、
父さんはいつも言っていた。

この世界は、春になると生まれ、冬になると死んでしまうけれど、
必ず、また春はやってくる。
そして、新しい春は古い春と同じではなく、『どこか』が違っている。
だから、それと同じように――毎日が同じことのくりかえしに見える――宿屋の生活も、
少しずつ変化しているのかもしれない。

もしそうだとすると、この退屈な生活も、おもしろく感じられる気がする。

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春 898/1/1121 天気:くもり

今日は、朝早くから宿屋のお掃除をした。
花祭りも昨日で終わってしまったので、かざっていたお花を礼拝堂へ持って行って、まとめて燃やしてもらったり、
台所を片づけたりした。

宿屋に泊まっていたお客さんも手伝ってくれたので、
思っていたよりもずっと早く終わって、よかった。

今年の花祭りは、なんだかいつもより楽しかった気がする。
もちろん、お祭りは毎年楽しいけど、今年はもっと楽しかったってこと!

今年の花祭りのいつもと違ったところは、都から貴族さまが来たことだから、
たぶんそのせいかな?と思った。
でも、アイシャにそう話したら、それは違う気がすると言われた。

たしかに、今年は料理を運んだり、宿屋でお客さんの対応をしたりしていたから、
パーティー会場でゆっくり貴族さまを見られたわけじゃないし、
ましてや、直接おしゃべりできたりするわけじゃないし(ラパンとは話したけど……)。
アイシャの言う通り、それは関係ないのかな。

でもそれなら、なんでだろう?
考えたけど、よくわからなかった。

でも、楽しいのはいいことだよね!


春 898/2/1121 天気:晴

今日、父さんのお墓を見に行ったとき、裏庭で赤い花を見つけた。

その植物(草と木の中間みたいな)は、ちょっと前からそこに生えていたけれど、花が咲いているのは初めて見た!
あたしも見たことがない花だった。山でも森でも村でも、どこでも見たことがない花!
あざやかな赤色で、あたしの手のひらくらいもある大きな花。すごくきれいだった。
裏庭をあちこち調べてみたけど、その花は、それひとつだけだった。

名前を調べようと思って、すぐに2階の書斎に行った。
もともとは父さんの部屋だから、魔術学の本が多いけれど、たしか植物図鑑もあったはずだ。

あたしはラブと違って、あまり書斎に入ることはないので、めあての本を見つけるのには時間がかかった。
ようやく図鑑を見つけたので、あの赤い花を探してみたけど、それらしいものは見つからなかった。
載っていないのだろうか。ひょっとしたら、探し方が悪いのかも……。
気がつくと、もう日が傾いていたので、あわてて夕食のしたくに戻った。

書斎を出るときに、窓から外を見ると、あの赤い花が夕日に照らされているのが見えた。
ちょっとだけ、イリスさんの宝石に似ていると思った。

きれいだけど、ひとりぼっちでかわいそうだ。


春 898/3/1121 天気:晴

ラブならあの花のことを知っているかもしれないと思ったので、聞いてみることにした。

夕方、ラブの部屋をたずねたけど、ドアには鍵がかかっていて、廊下から呼びかけても反応がなかった。
たぶんまだ寝ていたんだと思う。
しかたがないので、[裏庭の赤い花の名前を教えてほしい]と書いた紙を、
ラブの部屋のドアに貼っておいた。

夜、あたしの部屋のドアに[明日調べる]と書いた紙が貼ってあった。

それならきっとすぐにわかるはずだ……と、満足して紙をはがした。
裏側に[僕の万年筆を勝手に使うな]と書いてあった。

……あれ、なんでばれたんだろう? 魔術?


春 898/4/1121 天気:雨

今日は少し肌寒かった。

裏庭の花は、変わらずきれいに咲いていた。
初めて見つけた日から、もう3日が経つけど、この花はいつまで開いていられるのかな?
この雨で、しおれてしまわないといいな……。

2階で夕食をとっていると、ラブが自分の部屋から出てきたので、
今日はいっしょにご飯を食べることにした。

きのう約束した通り、ラブはあの花のことを調べてくれたみたいだった。
ラブの話では、あの植物は、ふつうならこの大陸にはないはずの種類だということだった。
南のほうにある国で育つらしい。
どうやってうちの裏庭にきたのかはわからないけど、この辺りではかなりめずらしいものだと思う……という話だった。

ここからがびっくりなんだけど、
あの花はふつうこの大陸にはないものだし「学術的に重要な位置を占める(聞き間違いかも?)」ものではないから、
この国の言葉での名前はない、ということだった。
共通語での名前はあるらしい。
ラブがそれを書き留めた紙を見せてくれたけど、
その名前の中には、あたしの苦手な発音が入っていて、少し読みづらかった。

ラブはなんだか疲れているみたいだったので、
あの花のことを調べるのは、そんなに大変だったのかと思って、聞いてみた。
でも、「それは関係ない」と言われた。
夕食が終わると、ラブはまたすぐに部屋に戻ってしまった。

そういえば、花祭りが終わってから、
ラブは自分の部屋にこもっていることが多くなった。
……いったい何をしているんだろう?
まあいっか。

今日は、あの花のことがわかってよかった!
でも、きれいに発音できないのは、ちょっとだけ残念かな……。


春 898/5/1121 天気:晴

今日はお洗濯びよりな快晴!

朝のお仕事が終わったあと、すぐにあの花のところに行った。
昨日の雨のことを心配していたけど、花は元気そうだった!

あんまり元気だから、この花はひょっとして、永遠に枯れないんじゃないか?という気がしてきた。
南の国のお花だから、長生きなのかな?

そんなことを考えているとき、すごくいいことを思いついた。

あたしが、この花に名前をつけよう。
この国の言葉で。
あたし達の宿屋の裏庭に咲いているんだから、家族みたいなものじゃないかな。
それなら、あたしが名前を考えてもいいと思うんだ。

今日、ラブは夕食のときにはいなかったけど、夜に2階の廊下ですれちがった。
なんだか、昨日よりもさらに元気がないみたいだった。
あたしは心配になって、具合が悪いのか、と聞いてみたけど、「違う」と言われた。

あたしが、花に名前をつけたい、という話をすると、
ラブは眉をひそめて、「わざわざ名前を考える必要はないだろう」と言った。
理由は「共通語の名前があることで、すでに識別可能だから」ということだった。
あたしは、そういう意味でつけるんじゃない、と答えた。
その名前をみんなに広めたいとか、種の識別とか、そういうことではなくて、
『うちの裏庭に咲いているあの赤い花』に、この国の言葉で、すてきな名前を考えたいのだ。

そう言うと、ラブはとても驚いたような顔をした。
あたしは、一度にたくさん話しすぎたのかと思って、ちょっと恥ずかしくなった。
それで、もう自分の部屋に戻ろうとしたとき、ラブに呼び止められた。

ラブは、「花の名前を考えたら教えてほしい」と言った。
まだ少し元気がないみたいだったけど、声の調子はさっきよりも明るかった。
あたしが、わかった、と答えたら、ラブは「共通語の名前は、僕にはまったく発音できない」と付け加えた。


春 898/6/1121 天気:晴

今日は宿屋にめずらしいお客さんが来た。
ほかの土地からきた、吟遊詩人さんだった。

夢魔のことがあったばかりなので、最初はちょっとだけ警戒したけど、
吟遊詩人さんはとてもいい人だった!

アイシャやイーナも宿屋に遊びに来てくれて、
みんなで詩人さんのお話を聞いた。

この世界が生まれたときの物語や、ほかの国の英雄の伝説など、
どれもホントに面白かった。

アイシャに、最近なにか変わったことはあったか、と聞かれた。
あたしは、みんなに赤い花を見つけた話をしようと思ったけど、
なんとなく言えない気がして、秘密にしてしまった。

ラブが「花の名前を考えたら教えてほしい」と言っていたのを思い出した。
いい名前を思いついたら、一番に教えてあげよう。

それまで、みんなには秘密。

吟遊詩人さんが、東のほうで大きな黒い雲を見た、と言っていた。
今日は風がほとんどなくて、村はとても静かだ。
嵐が来るかもしれない、とあたしは言った。イーナも同意した。
毎年、この時期にはだいたい嵐が来るので、あたしはあまり心配していない。
ちゃんと準備をすれば、大丈夫だ。
アイシャは心配性なところがあるので、不安そうにしていた。
だいじょうぶだよ。


春 898/7/1121 天気:くもり(嵐の兆候あり)

急に風が強くなった。
明日には嵐になるかもしれない。
空が荒れはじめるのが、予想よりもずっと早かったので、あわてて対策をはじめた。

宿屋の窓を板で塞いで、雨や風が入らないようにした。
食べ物と水も家の中に入れておいた。
時間があったので、武器屋のおじさんと一緒に、ほかの家の補強もした。

いちばん心配なのは、裏庭のあの花のことだ。
明日の嵐がどれくらいのものなのかわからないけど、風で倒れてしまうかもしれない。

だから、昼間のうちに、花の周りに木の板で囲いをつくって、風よけにした。
でも、これで雨風に負けないかどうかはわからない。
赤い花はきれいに咲いている。
強い花みたいだから、明日の嵐にも耐えてくれると信じたいな……。

夕方、裏庭でお墓の手入れをしていると、ホントに珍しいことだけど、
ラブが降りてきて、なにか仕事を手伝うと言った。
でも、やっぱりまだ元気がないみたいだったので、あたしはなにも手伝わなくていいと答えた。

ラブは、あたしが花の周りにつくった囲いを見て、
「あの植物を切ったほうがいい」と言った。
明日、嵐が来たら、花が落ちてめちゃくちゃになってしまうかもしれないけれど、
いまのうちに切り花にして家の中に飾れば、もっと長持ちする……という話だったと思う。

あたしは、それはいやだ、と答えた。
理由はうまく説明できないけれど、ラブがそんな提案をしたことが、すごく悲しかった。

しばらくの沈黙のあとで、ラブはぽつりと、「おそらくきみが正しい」と言った。
あたしが答えないでいると、もう一度、とても小さな声で、「きみは正しい」と繰り返した。
こっちに話しかけているというよりは、自分に言い聞かせているみたいだった。
そのあとは、なにも話していない。


夜になると、風はさらに激しくなってきた。

明日はきっと、ひどい嵐だ。


『タニカの日記』Xim erate d’arientos【後編】

嵐の夜の感情錯綜~終わりの悲しみを知るということ


春 898/8/1121 天気:嵐(ひどい天気!)

夜中から雨が降りはじめ、明け方にはひどい嵐になった。

朝から、強い風が宿屋の窓をたたいている。
あの花のことは気になるけれど、この荒れ模様では、外には出られそうにない。
お客さんも来そうもないので、いまのうちに、花の名前を考えようか……とも思ったけれど、とてもそんな気分にはなれなかった。
あたしは、あの花は無事だと信じている。
……でも、やっぱり落ち着かない気分だった。

だから、この日記をたくさん書いて、時間をつぶすことにした。

お昼を少し過ぎたころだった。
あたしは、ふと、ラブの部屋のことが気になった。
この嵐で、室内に雨や風が吹きこんだりしていないかな、とちょっと心配になった。
ラブは、もし嵐でなにか問題が起こっていても、あたしには相談しないかもしれない。
そういうことは、これまでにも何度かあった。
なんだか悪い予感がしたので、そっと様子を見に行くことにした。

ラブの部屋の前まで行くと、ドアが少し開いていた。
普段は閉まっていることが多いけど、まあ、たまにはそういう日もある。
外から呼びかけたけれど、返事はなかった。
あたしは、まだ日が出ている時間だから、きっと寝ているんだろう、と思った。
悪いかな……と、ちょっと迷ったけれど、勝手に入ることに決めた。

部屋は散らかっていたけれど、とくに異変はなさそうだった。
ラブは、机に突っ伏して眠っていた。
あたしは、こんなところで寝たらダメだよ、と声をかけた。
でも、ラブは目を覚ます気配はなかった。

そのとき、あたしはラブの机の上にあるものに気づいた。
……手紙だ。しかも、ラブの字だ。
ラブは、眠る直前まで手紙を書いていたんだ。
そう気づいて、あたしはびっくりした。
ラブが手紙を書いているのを見たのは、たぶん生まれて初めてだった。
だって、ラブがいったいどこに手紙を書くの?

何度も書きなおしていたのか、それともただ散らかっているだけなのか、
机の上にはたくさんの紙が散乱していた。
あたしはもっとよく見ようとして、その中の一枚を手に取った。
だけどその時、ラブが目を覚ましてしまった。
ラブと目が合ってしまったので、あたしは怒られるかと思ったけれど、何も言われなかった。

ラブは、黙ってあたしの手から紙を奪い返した。
そして、「やることがあるから、出ていってほしい」とだけ言った。
その時の声は、とても平坦で、なんの感情もこもっていないように聞こえた。

あたしは悪いことをしてしまった、と反省した。
それで、勝手に部屋に入ってしまったことと、手紙を見ようとしたことを謝った。
ラブは、やっぱり何も言わなかった。

部屋から出る直前、どうしても気になって、
どこに手紙を書くの、と聞いてしまった。
……返事はなかった。

あたしが、あきらめて部屋から出ようとしたとき、ラブは一言、小さな声で「研究院へ」とつぶやいた。

自分の部屋に戻ったあと、あたしはラブの手紙のことを思い返していた。
ラブがどこに手紙を書いていても、何も問題はないはずなんだけれど、
なんだか妙にひっかかっていた。

ラブが王立研究院に手紙を? いったい何のために?
だって、これまでずっと、院長さんから手紙が来ても、無視し続けていたのに。
院長さんから手紙……。
そういえば、花祭りの直前、ラブ宛に手紙が来ていた気がする。
2階の床に放置してあったので、あたしも読んだ。

あれ、なんて書いてあったんだっけ……。
思い出そうとすると、なぜだか心がざわざわして、落ち着かなかった。

よくわからない。
ちょっと早いけれど、今日はもう寝てしまおう。
この嵐だから、できることもない。

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夜中に目が覚めてしまった。
風の音のせいかな……。

しかたがないので、眠くなるまで、書斎で日記を書いていた。

あたしは夜は早く寝て、朝は早く起きているので、夜中になにかすることなんてない。
嵐の夜中なんて、わくわくする……と、ふだんなら思うはずなのに、今日はまったく楽しくなかった。

その理由はわかっている。
あたしは、院長さんからの手紙の内容を思い出したのだ。
もし、ラブが書いていたのが、あの手紙の返事だとしたら……。

日記を書いていると、ラブが書斎に入ってきた。

ラブはいつも、夜ふけすぎ――ちょうどこれくらいの時間――に、魔術の実験をしたり、論文を書いたりしている。
だからきっとその時も、作業をしに来たんだと思う。
ラブはあたしが日記を書いているのを見ると、一瞬、とても驚いたような顔をした。
だけどすぐに、いつもの無表情に戻って、
「どうしてこんな時間まで起きているんだ」とたずねた。

あたしは、その質問には答えなかった。
その代わり、来年も一緒に花祭りに行けるかな、と聞いてみた。

ラブは嘘をついたり、ごまかしたりするのが苦手だから、
あたしの予想が正しいかどうか、これで確かめられると思った。
こんなやり方はずるいと思ったけど、これしか思いつかなかったから、仕方がない。

ラブは、「行く」とも「行かない」とも言わなかった。
何も言わず、ただ、静かにあたしの目を見つめていた。
そして、ふと視線をそらして、窓の外をちらりと見た。

あたしは、ああ、あの花を見ているのだ……と思った。
いまになって考えてみると、外は真っ暗だったから、花は見えなかったはずだ。
だけどその時は、なぜかそう感じた。

ラブはもう一度、あたしのほうに向き直った。
そして、いつもよりもずっとずっと低い声で、
「もしも、この嵐であの花が駄目になったら、きみはどうする?」とたずねた。
どうするって? どうするって、どういうことだろう。
どういう意味かわからなかったので、あたしは聞き返した。
すると、「雨風に曝されたことで、花が落ちてしまって、あの植物が完全に枯れてしまったとして――それでもまだ、名前が必要だと思うのか? すべてが無意味に帰すとしても?」
と、ラブは言った。

ラブの目は、相変わらずまっすぐにあたしを見ていた。
見ていたというより、睨んでいたという表現が正しいかもしれない。
なんだか、視線で射貫こうとしているみたいだった。
どう表現すればいいかわからないけれど、このときのラブは、とても怖かった。
あたしは、もう目をそらしてしまいたいと思った。

……だけど、ここで引くわけにはいかない。
引いたら、ラブの言葉を認めたことになってしまう。
だからあたしは、あの花は嵐に負けたりしない、そんなことを言わないで、と言い返した。
ちゃんと、目をそらさずに話せた。
そうしたら、ラブは、
「そうか。きみが理想論をふりかざして、質問に答えないのなら、仮定の話としよう」と言った。
「もしもあの花が、風に耐えきれない、どうしようもなく弱い存在でも、それでもまだ名前を与えたいと思うのか」

あたしは、言葉につまってしまった。
そんな言い方はひどいと思った。
それは違う、と言いたかった。
ほかにも、たくさんの言葉が、心の中にわきあがってきた。
でも、一度にたくさんの気持ちが、頭の中をぐるぐると回っていたせいで、うまく話すことができなくなってしまった。
それでも、どうしても目をそらしたくなくて、そこに立ち続けた。
ラブも、一瞬も目をそらさず、こちらを睨んでいた。

お互い黙ったまま、あたし達は書斎に立っていた。
どれくらいの時間が経ったのかわからない。
そのうちに、ラブは「早く寝ればいい」と冷たく言い放って、部屋を出ていった。

……結局、あたしはなにも言い返せなかった。
くやしくて、涙が出そうだった。


風が窓をたたく音が聞こえた。
嵐なんて嫌いだ。大嫌いだ。
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春 898/9/1121 天気:雨

目が覚めると、頭が痛かった。
それに、体が熱くてふわふわしていて、宙に浮いているみたいだった。
どうやら、風邪をひいてしまったらしい。
昨夜、遅くまで起きていたせいだと思った。

昨夜と比べると、風はだいぶ落ち着いていたけど、相変わらず雨が降っていた。
あたしは、ぼんやりとした頭で、この天気なら、きっと郵便屋さんは来ないな……と考えた。

あたしが朝の礼拝にいなかったので、近所のおばさんが異変に気づいて、宿屋に来てくれた。
あたしはほとんど病気をしたことがないので、おばさんはとても心配していた。

そのうちに、アイシャもやってきた。
アイシャは、「病気が治るまで、宿屋の仕事を代わる」と提案してくれた。
あたしが、そんなことをしたら、ベイカーさんに怒られるよ、と言うと、
「父がそうしろと言ったのよ」と答えた。
そう言ったアイシャは、ちょっとさみしそうに見えた。

ベイカーさんのお許しが出たみたいなので、あたしは2階で寝ることにした。

雨の音を聞きながら、あたしは、あの花のことを考えていた。
「もしもあの花が、風に耐えきれない、どうしようもなく弱い存在でも、それでもまだ名前を与えたいと思うのか」
と、昨夜のラブの言葉が、頭の中に響いた。
……そんなはずはない。
あの花は強いから、きっと大丈夫なはずだ。
見に行かなくたって、わかる。

眠ろうと目を閉じると、あのあざやかな赤色が、すぐ近くに見えるみたいな気がした。

次にあたしが目を覚ましたのは、夕方だった。
頭が痛いのも治っていたし、体もふわふわしなくなっていた。
ベッドの横に、あたしの好きなキャンディーがひとつ、置いてあった。
誰が持ってきてくれたんだろう。
外を見ると、雨がやんでいた。

あたしは起きあがり、キャンディーを口にふくむと、1階へ降りた。
もちろん、裏庭へ行くためだ。
アイシャはもう帰ったみたいで、1階は静まりかえっていた。
運がいいことに、誰にも会わなかった。
もし誰かがいたら、外に出ることをとがめられていたかもしれないから。

予想はしていたけれど、裏庭はひどく荒れていた。
父さんのお墓は無事だったので、ほっとした。

あたしは、ぬれた地面を踏みしめながら、あの花のほうへと近づいた。
囲いは倒れてしまっていた。
赤い花は、地面に落ちていた。
それだけではなく、幹も囲いごと倒れ、葉は散り散りになっていた。
最後に見たときには、あんなに鮮やかだった赤色の花びらは、土と同じ色に変わっていた。

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(日付なし 走りがき)

すべての物事には終わりがある、と父さんは言った。
でもそれは、新しいことのはじまりだから、怖がることはないんだ、とも言った。
あたしもそう思っている。そう思っていた。
でも、でも、もしその新しいことが、新しい春が、悲しいものだとしたら、
その時は、いったいどうしたらいいんだろう。

父さんは、教えてくれなかった。
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『タニカの日記』Xim erate d’arientos【完結編】

魔力あるいは生命の源流~遠くて近い想い 

春 898/10/1121 天気:くもり

明け方、朝の礼拝へ行った。
先に礼拝堂へ来ていたアイシャは、あたしが入ってくるのを見るなり、心配そうな顔で、「もう起きあがってもいいの?」とたずねた。
あたしは、大丈夫だ、と答えた。
べつに強がりを言ったとかじゃなくて、ホントに風邪はもう治っていた。
どこも痛くなかったし、熱もなかった。
だけど、昨日のことを思い出すと、胸がずきずきした。

あたしは、いつものようにアイシャの隣の席に座った。
そして、悲しいときはどうすればいいと思う、と聞いてみた。
するとアイシャは、「なにか困ったことが起きたの?」と、さらに心配そうな顔をした。
花のこと、手紙を見たこと、ラブのこと……。
あたしは何を話せばいいかわからなくて、答えられなかった。
アイシャは、あたしが答えないのを見ると、それ以上何も聞かなかった。

礼拝が終わり、あたしが席を立とうとしたとき、アイシャが声をかけてきた。
「――悲しみは、わたし達に与えられる試練だって、神父様は言っていたわ。
そして神様は、乗り越えられない試練はお与えにならない、とも。
でも、もし一人で立ち向かうのが辛いのなら……誰かに頼っても、きっと許されると思うの」
あたしは、その言葉を覚えておくことにした。
アイシャは膝の上で指を組んで、座っていた。
赤い髪が、ステンドグラスから差し込む日光に照らされて、輝いていた。
きれいだな……と思った。
ふと思い出して、アイシャに、昨日あたしが眠っている間に、キャンディーを持ってきてくれたよね、と聞いてみた。
するとアイシャはいぶかしげな顔をして、「わたしが? いいえ。二階に誰か来たの? ずっと下にいたけれど、気がつかなかったわ」と言った。

礼拝堂から帰る途中もずっと、あたしは昨日のことを考えていた。
ゆうべ、裏庭であの花が倒れているのを見たあと、あたしは、宿屋に戻って、いろいろな道具を持ってきた。
なんとかしてあの花を助けようと思ったのだ。
花の隣に支柱を立てて、幹が折れてしまった部分には、布を巻いた。
ほかに、何かできることはないか……と、あたしは一生懸命考えた。
けれど、それ以上のことは思いつかなかったのだった。

だから、宿屋に帰りついたあたしは、結局またラブの部屋の前に立っていた。
ラブなら、あの花を助ける方法を知っているんじゃないか――と思ったのだ。

ラブは、あたしが楽しいことを考えても、ぜんぶ否定しようとする。
それにすぐに怒るし、宿屋の仕事はちっとも手伝ってくれないし、花祭りのことも馬鹿にする。
でもラブは、魔術を自在に操れて、難しいことをたくさん知っていた。
そして、あたしが本当に困ったときは、必ず力を貸してくれた。
あたしは、ラブが操る炎を見るのが好きだった。

こうやって、あたしは何度ラブに助けてもらったんだろう、と思った。
……そしてそれも、もう最後になるかもしれないのだ。

いつも通り、部屋の外から声をかけた。
ラブは、今日はすぐに出てきてくれた。
そして、あたしがなにか言う前に、「あの植物は嵐に耐えられるんだな」と言った。
予想もしていない言葉だったので、あたしは固まってしまった。
ラブはそのまま歩きだして、一階へ降りていった。
ついてくるな、と言わなかった。
……ということは、たぶんついてきてほしいのだ、と思った。
だから、あたしも後を追った。
ラブが向かった先は、予想通り裏庭だった。
あたしが追いつくと、ラブは、あの花――いまは花は落ちてしまっているけれど――の幹に手を触れた。
そして、あたしにはわからない、魔術の言葉で、何か呪文のようなものをつぶやいた。

すると、びっくりするようなことが起こった。
ラブが触れた場所から、小さな光の粒がたくさん出てきて、空中へ舞い上がったのだ。
その光の粒は、どんどん増えていった。
そのうち、幹のべつの場所からも出てきて、花全体が、光の粒で覆われた。
まるで、花が光っているみたいだった。

何をしたの、とあたしは尋ねた。
「なにもしていない」とラブは言った。
「これは、この花にもともと宿る魔力だよ。春に咲く花には、魔力を集めて蓄える習性があるんだ。僕は、きみにも見えるように、一時的に可視化しただけだよ。いまきみが見ている粒子は、あの人の言葉を借りるのなら……生命の源流のようなものだ」
生命の……ということは、まだ生きているの、とあたしはたずねた。
ラブは「それくらいのこと、見てわからないのか」と、あきれたように言った。
そしてあっさりと、
「花も葉も落ちているけど、核の部分は傷ついていない。すぐに自己修復するだろう」、と続けた。

よく見ると、光の粒たちは、ある一点に集まっているように見えた。
あたしは、その部分をよく見てみた。
――そこには、つぼみがついていた。
つぼみの先は、あの鮮やかな赤色だった。
それを見たとき、あたしは、ちょっとだけ泣いてしまった。
すごく嬉しかった。

しばらくすると、光は見えなくなった。
ラブは、ぽつりと、「僕は、研究院へ行く」と言った。
それは、あたしも予想していたことだった。
「きみが理解しているかどうかは怪しいけど……僕は現状では、魔術学者を名乗ることはできない。魔術師ではあるが、それもかなり微妙なところだ。……だけど、研究院へ行けば、もうそんなことを考える必要もなくなる。魔術学者とか、魔術師とか、そんな肩書きには本質的に意味がないことはわかっているし、僕自身もそれほど興味があるわけじゃない」
ラブは、そこまで言うと、ふっと視線を落とした。
あたしは黙って、話の続きを待った。

ラブは、あたしになにか返事を期待しているときは、必ずあたしの目を見据えている。
視線を泳がせていたり、うつむいているようなときは、なにかを考えているとき、だ。
これは、最近になって気づいたことだ。

あたしが静かにしていると、ラブはまた口を開いた。
「でも、そうすればもう、誰にも……僕の魔術師としての力を、『道なき力』とは呼ばれない。この力をどう扱うのかは、僕の課題であり責任だ。それが、研究院へ行くことを決めた理由」
と言った。
そしてまた、ちょっと考えるようにして目を伏せた。
ラブは、ゆっくりと話を続けた。
「僕にとって、ここは、あの花の囲いの中と同じだ。つまり、この場所はきっと、居心地が良すぎるんだと思う。嵐からは遠い、守られた場所だ」

あたしは、黙って聞き続けた。
そのときのラブの言葉は、体の中にしみわたるみたいだった。
ラブが、ひとつひとつ、ていねいに言葉を選んでいるのがわかる。

「でも、それでは駄目なんだ。僕は強くならなければならない。夢魔のときのように、負けてしまうわけにはいかない」
その言葉にびっくりして、あたしは思わず、ラブは負けたりしなかったでしょ、と言った。

だけど、ラブは首を横にふった。
そして、あたしの目をしっかりと見てから、
「あれは光の精霊イリスと、それから、きみ自身の力だよ。
だから僕は、いまよりもずっと、強くならなければならないんだ」
と、きっぱりと言いきった。

あたしは、どう答えればいいのかわからなかった。

ラブが、自分の考えを話してくれたのは嬉しかった。
でも、これでもう、あたしの悪い予感は、決定的な出来事になってしまった。
ラブが研究院へ行く……ということは、ラブはこの村を出ていくつもりなのだ。
あたしたちを置いて、遠い遠い都へ、ひとりで行ってしまうということだ。

部屋へ戻る直前、別れ際に、ラブは思い出したように言った。
「もう、夜中に日記を書いたりするな。慣れないことをするから、熱なんて出すんだ」

……知ってたんだ。気づいてなかったのかと思った。

その夜、あたしは、とうとうあの花の名前を決めた。


春 898/11/1121 天気:晴

今日は、他の村からお客さんがきた。
お料理を作って出した後、部屋の掃除をした。
そのあとは、外に遊びに行こうかと思ったけど、風邪が治ったばかりなので、宿屋でゆっくりすることにした。

夕方、裏庭で父さんのお墓の手入れをした。
あの花を見て、あたしは、きのうの光の粒を思い出した。
……早くまた、元気になってほしいな。
あたしは、きのう考えたばかりの名前で呼びかけてみた。
やっぱり、名前を考えてよかった。

裏庭から宿屋を見上げると、ラブの部屋に、もう魔導ランプの明かりが灯っているのが見えた。
その光を見て、あたしは、なんだかほっとした。
そう言えば、研究院へ行くのはいつなのか、聞きそびれてしまっていた。

ラブが都へ行ってしまう。
なんだか、まだ実感がわかなかった。
こういうときは、どんな言葉をかけるのが正しいんだろう、と、あたしは考えていた。
あたしが遠くへ行くとしたら、なんて言われたら嬉しいだろうか。

……もしも、悪い魔術師に捕まったあたしを、遠い国の王子さまが助けにきて、あたしはその王子さまと結婚して、遠い国のお姫様になることになったら――そして、カダを出ることになったら、みんなはなんて言うだろう……と、想像してみることにした。
勝手なことばかりして、この恩知らずめ――と、怒鳴るベイカーさんの顔が、なぜか一番に浮かんだ。
アイシャはきっと、「さみしいけれど、あなたの幸せを願っているわ」と言うだろう。
これは間違いない、と思った。
あたしは、アイシャのことをよく知っている。
村の人たちはみんな、とても驚くだろう。
おばさんは、あたしが結婚すると言ったら、喜んでくれるだろうか。
ラパンは、「宮廷の作法を教えてやろうか」と、おかしそうに笑うだろう。
ラブは……考えてみたけど、まったく想像ができなかった。
というより、この空想の村の中に、ラブの姿はなかった。
けれど、空想の中のあたしは、それに気づくことすらなく、楽しそうに笑うのだ。
そのことに気づいて、ちょっとだけ不安になった。
これでは、まるで夢魔が見せた悪夢だ。

けっきょく、どういう言葉をかけるべきか、という疑問の答えは出なかった。

ラブが村を出るかもしれない、と思ったことは、前にも一度あった。
――父さんが死んだときだ。
ラブは、父さんが死んだあの日に、あたしたちの前から姿を消した。
お葬式にも来なかったし、宿屋にも帰ってくることはなかった。
あたしは、ああ、きっともう村を出ていったのだ、と思った。
でも、その時、あたしはそのことについて、とくに何とも思わなかった。
父さんがいなくなってしまったことで、自分の中にある悲しさを感じる場所が、もういっぱいいっぱいだったのかもしれない。
それにあのころ、あたしはラブのことを、何も知らなかったから、なんとなく『そういうもの』なんだと思っていた。

父さんが死んだ後、あたしは父さんの持ち物を、整理しなければならなかった。
持ち主がいなくなった机を見るのは、とてもつらかった。
でも、父さんの部屋には、相変わらずラブが住んでいた。
父さんが生きていたころと変わらず、夜になれば、書斎は魔導ランプの明かりで満たされた。
もし、ラブが出ていってしまったら、父さんの部屋には誰もいなくなる。
あたしは魔術師ではないから、もう書斎にも、実験室にも、明かりが灯ることはないだろう。
そう思ったら、急に悲しくなってきて、じわりと涙がでてきた。

いろいろと考えてみたけれど、答えはとうとう見つからなかった。

……だから、明日は森へ行ってみようと思う。
さっそく、倉庫からとっておきのワインを出してきた。
ホントは、もうちょっと寝かせておきたかったんだけどね。


春 898/12/1121 天気:晴

明け方、お客さんを送り出したあと、あたしは出かける用意をした。
玄関の扉に『準備中』の札をかけて、手には昨夜のワインを入れたバスケットを持った。
そして、近くの森へと向かった。
あたしは子供のころから、よくこの森で遊んでいるから、道に迷うことはない。
森の中の道を進んで、何回目かの開けた場所から南西へ少し道を外れ、大きなリンゴの木のところを、南へまっすぐ――。
そこに、小さなコテージがある。
あたしが子供のころから、ここにはずっと人が住んでいなかった。
だから、誰のものかも、なぜここにあるのかもわからない。
でも、今日あたしがここに来たのは、人に会うためだった。

コテージから少し離れた泉に、人影が見えたので、あたしはそっちに向かうことにした。
ラパンは、泉のそばに座って、剣の手入れをしていた。
あたしは後ろから声をかけた。
びっくりするかな、と思ったけど、ラパンはなんでもないように、「よく来たな」と言った。
まるで、あたしが来るのがわかっていたみたいだった。

ラパンは、イリスさんに連れられてカダに来てから、いつの間にかこの森のコテージにいついていた。
『住んでいる』というより、ホントに『いついている』という感じ。
だいたい、初めて会ったときは、ピレネーの近くに住んでいたのに、気づいたらここにいたので、あたしはびっくりしてしまった。
どうして住む場所を変えたの、とあたしが聞くと、「気分」と答えた。
ホントにいい加減だ。
この森のコテージは、わかりづらい場所にあるから、カダの人だってみんなが行き方を知っているわけじゃない。
ましてや、他の場所から来た人なら、存在にすら気づかないと思う。
いったい、どうやって見つけたんだろう?

あたしが、相談したいことがあるんだけど、と言うと、ラパンは、
「いいぜ。ただし、カウンセリング料をもらおうか――そうだな、支払いはそのバスケットの中の物で。そういうわけだから、その価値と釣り合う分だけ話せ」と言った。
……そんな交換条件、初めて聞いた。
あきれてしまったけど、仕方がないので相談することにした。
あたしは、もし新しい春が、とても悲しいことだとしたら、どうしたらいいと思う、と聞いてみた。
「そんな抽象的な話をされても、オレにはまったくわかんねーな。学がないんでね」
と言って、ラパンは、持っていた剣をくるり、と片手で器用に回した。
「つまり、何が悲しいって?」
そう聞きかえされると、困ってしまう。
あたしは、少し迷ったけど、子供のころから一緒にいた人が、遠くへ行ってしまうことになって、それが悲しいんだ――と、話してみた。
するとラパンは、すっと目を細めて、「ああ、そっちの方がわかりやすいな」と言った。
「そうだな、いい方法があるぜ。他人に期待しないことさ。何も求めず、何も反応しないこと――それから、自分に対してもな。それで、昨日のことも明日のことも考えず、いまだけを楽しむことだ――これは本当に楽なんで、個人的には推奨するね」と言った。
でも、あたしがその言葉の意味をしっかり理解しようとして、頭の中で反芻していると、ラパンはまるでそれを遮るように、
「でも、そうだな。こういう投げやりな人生は、おまえみたいな未来ある若者にはおすすめしないな」と、大げさに肩をすくめてみせた。
……どっちなんだろう。
あたしがむっとしたのを見て、ラパンは、
「そうだな、とりあえずは……『誰がどうなることがどうして悲しいのか』もう一回よーく考えてみること、だろ」と言った。
そして、「さて、アドバイスは以上だ――お、これはけっこう年代物だな。ありがたく頂戴するか」と続けた。
……いつの間にか、ラパンの手にはあたしのバスケットの中にあったワインが握られていた。
いつとられたんだろう、ぜんぜん気づかなかった。
さっきまで、剣を持ってなかった?

っていうか、アドバイスは以上って……まさか、さっきので終わり?

あたしは、さすがに理不尽だと思った。
そして、どうして悲しいのかなんて、考えなくてもわかってるよ、と反論した。
でも、ラパンは「へえ、そう? そういう風には見えないけどな」と言った。
それからおもむろに立ち上がると、「それじゃ、オレはもう行くから」と言って、コテージとは反対の方向に向かって歩き出した。
どこへ行くの、とあたしが聞くと、
「ラインアマドの都さ。新国王の戴冠式に合わせて、城下で祭りがあるんだ。そこでちょっと路銭を稼いで、その後は北だな。北の海のずっと向こう、雪に閉ざされた場所、この世の最果て――冬が生まれる国だ」と、あっさりと答えた。

……なにそれ。
あたしは、てっきりちょっと出かけるか、ピレネーへ帰るのかと思っていたので、それは思いもよらない答えだった。
でも、不思議とそこまでびっくりしなかった。
だって、ラパンの行動は、ホントにいつも脈絡がなくて、予測ができないから。
それに、また冗談かもしれないでしょ?

だからあたしは、それじゃあ、帰ってきたら旅の話を聞かせてね、と言った。
ラパンは、「誰かさんがいなくなると悲しむらしいのに、オレのことは気にかけてくれないとは、さみしいね」と返した。
でも、その言葉とは裏腹に、その声は明るくて、あたしをからかっているようだった。
あたしが、だってまた帰ってくるんでしょ、とたずねると、
「そうだな。明日か、来年か、十年後か、もっと先か……それはわからないが、ま、そのうちまた会うこともあるさ」と言った。
そして、「オレはここの生まれじゃないが、『帰ってくる』という言葉は、悪くはないな――自然にその言葉が出るのは、おまえの美徳だと思うぜ。それから、おまえを育てたこの村の美徳、か。せいぜい、大事にするんだな」と付け加えた。

……ラパンの言動は、やっぱりよくわからない。
いつも突然現れて、突然消える。
でも、だからこそ、あたしは『もう二度と会えない』と思うことはないのだろう。
あたしは、ラパンは大人だし、どこへ旅に出ても帰ってこれそうだけど、ラブには無理そうだよね、と言った。
すると、ラパンは妙に神妙な顔つきになって、「その台詞は、絶対に少年には言うなよ」と、答えた。


春 898/13/1121 天気:晴

今日の夕方、また書斎でラブと会った。
あたしは、ラブに花の名前を教えてあげた。
この国では、『打ち勝つもの』という意味を持つ言葉だ。
ラブは、「きみがそうしたいなら、それでいいんじゃないか」と、答えた。
そしてまた、あたしの目を見据えた。
でも、あたしはもういつかの夜のように、それを怖いとは感じなかった。

「あたしは、ラブがいなくなったら悲しいな」
いま伝えなければ、もうずっと伝えられない気がして、あたしは口を開いた。
父さんの部屋や書斎に、明かりがともらなくなるのは悲しい。
だけど、それだけじゃなくて、こうしてラブと話せなくなることも、すごく悲しい。
あたしは、そう言った。

ラブの話を聞いたとき、どういう言葉をかけるのが正しいんだろう、と考えた。
そして結局、その答えは見つからなった。
いまでも見つかっていない。
だから、いま伝えたことは、きっと正解じゃない。
どちらかといえば、大はずれに近いと思う。
でも、あたしは、自分が考えたことを、そのまま伝えたいと思った。
ラブは、あたしの話を聞いて、「きみは本当に馬鹿だ」と言った。
そして、「……でも、僕はそれを期待、していたんだと思う」
と続けた。

あたしはびっくりしてしまって、あたしが悲しむのがそんなに嬉しいの、とたずねた。
ラブは、少し困ったような顔をした。
そして「そういう捉え方もあるのか」と言った。

しばらくの沈黙の後で、ラブは、「僕は、守れるかどうか分からない約束はしない。そんなことをするくらなら、黙って消えるほうがましだと思っている。だから、これから話す言葉は、僕の存在すべてを賭ける言葉だ」と言った。
存在すべて、という言葉を聞いて、あたしは身構えた。
今度は、いったい何を言おうとしているのだろう。
「僕は王立研究院へ行く。3年間研究員として働ければ、学位が認められる。そうすれば、僕は魔術学者を名乗れるようになる。そうしたら、その後――」
ラブはそこで、一度言葉を切った。
あたしは息をのんで、話の続きを待った。
ラブは、「もう一度、一緒に暮らしてほしい」と言った。
……なんだ、そんなことか。
あたしは拍子抜けしてしまって、肩の力を抜いた。
存在を賭けるなんて、ものすごいことを言うから、もっと恐ろしいことを言うのかと思っていた。
たとえば、ええと……この村を、海に沈めたいとか?

でも、一緒に暮らすって、それって結局、いまと同じだよね。
研究院へ行ってしまうのはさみしいけど、戻ってくる約束をしてくれるのは、いいことだ。
あたしはうなずいて、うん、いいよ、と言った。
ラブは、「そんなに簡単に承諾していいのか」と、あきれたような顔をした。
「3年後、きみが誰かと一緒に暮らしていなくて、その予定もなかったら、という意味だよ」と、念を押すように言った。
あたしは、だれかってだれなの、と聞いた。
「きみがいつも話している、遠い国の王子とか」と、ラブはなんだかつまらなそうに言った。
もしも、王子様が迎えに来るのなら、雲の上にある王国からがいい、とあたしは答えた。
だって、雲の上なら、きっと嵐は来ないから。
ラブは、少し笑って、「雲の上に建物はつくれないよ、ものを知らないな」と言った。

あたしはふと思いついて、もし王子様がお迎えに来たときは、ラブも一緒に来てもいいよ、と提案した。
するとラブは、ホントに複雑そうな表情をした。
なんて表現したらいいかわからないけど、これまでに見たことがない顔だった。
そして、「……時々、きみは永遠に馬鹿なままなんじゃないか、と思うことがある」と言った。

せっかく誘ってあげたのに、そんなことを言うなんて、ものすごく失礼だと思う。


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(日付なし 最後のページ)

今日、ラブから手紙が来た。
ラブが研究院へ行く前に、あたしが、ときどき手紙を書くから、返事を書いてね……と言うと、ラブは露骨にいやそうな顔をした。
でもあたしが、手紙をくれないとラブのことを忘れちゃうかも、というと、真面目な顔で、「きみがどうしてもと言うなら、考えておかないこともない」と言ったのだ。
手紙、と言っても、近況報告のような短い文章が書いてあるだけだったけれど、とりあえず、元気でいることはわかった。
あたしはその手紙を、父さんのお墓にそなえることにした。

夏になってから、『打ち勝つもの』は、赤くて鮮やかな花をたくさんつけている。
初めて見つけたときはひとつだけだったのに。

あれから何度か森へ行ってみたけど、あの春の日以来、ラパンの姿を見ることはなかった。
でも、そのうちふらっと現れるんだろう、とあたしは確信している。

あたしはいまも、カダの村で、新しい春を待っている。
都に住むお姫様にも、自由な旅人にもなれなくても、あたしはここで新しい季節を待つことができる。
次の春には、いったいどんなことが起こるのか、わくわくしながら待つことができる。
ひょっとしたら、悲しいことが起こるかもしれない。
でも、それでもあたしは、あたし達は、季節が巡るのを待ち続けるのだ。
きっと、父さんも、それでいいんだ、と言ってくれると思う。

まだ書きたいことはたくさんあるけど、日記は今日で終わりにしようと思う。
なぜかというと、ページがこれで終わってしまうから。
残念だけど、しかたがないことだ。

すごくいまさらなんだけど、表紙にタイトルを書いていなかったことに気づいた。
あたしは、ちょっと迷ったけど、Xim erate d’arientos、と書くことにした。


あなたとあたしの次の春が、幸せなものでありますように!


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日記を勝手にさらされるタニカ。

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